ある日、組合事務所として使用していたプレハブに、フォークリフトが突っ込みました。それだけではなく、窓ガラスは破壊され、電源類もすべて切られていました。この事件は、現なかまユニオン執行委員長:井手窪さんが所属していた、岩井金属労働組合の組合事務所でした。
本当にショックでした・・・
井手窪さんは、岩井金属工業の組合でも、執行委員長をしていました。破壊された事務所を見てどう思ったかと聞いてみました。「まあショックだよね…ショックだしあとさ、怖いよね。恐怖心が出るよね。」事務所の破壊の仕方が徹底的過ぎて、異常さを感じたといいます。結局、争議が終わった後、事務所を破壊した社員も会社を追われてしまったといいます。
労働委員会関係裁判例データベース
岩井金属工業事件の概要
<1>組合掲示板の撤去に応じない執行委員長X1を解雇したこと、
<2>青年部長X2を班長職から降格したこと
<3>管理職らが組合員らに組合脱退署名を求め、組合に組合費等返還請求書を提出させたこと
<4>組合が組合事務所として使用していたプレハブの建物を取り壊し、組合掲示板を撤去し、従業員への組合ビラの配布を妨害したこと
<5>組合の団体交渉開催要求を拒否したことが不当労働行為であるとして争われた事件である。
14年間の争議の経験をなかまユニオンに
不当解雇をはじめ賃金差別、不当処分などありとあらゆる組合つぶし攻撃と闘ってきた岩井金属労働組合。2004年12月10日に、東京地裁で成立した和解内容は、組合の完全勝利の和解でした。不当処分などで組合員が被った損害額を、すべて回復した金額に相当する解決金の支払いがされました。または、組合員の賃金是正など、労働委員会命令に沿った内容でした。
当時を知る人は、フォークリフトで壊された組合事務所、就労闘争の組合員にホースで水をかける職制の姿を思い出し、怒りが蘇ると語ります。会社に「もうお前はいらん」と放り出される社員。その悲しみや怒りは計り知れません。
闘いの決意:労働者を虫ケラのように扱うやり方は許せない
若き日の井手窪委員長「仲間のみなさん。私は10月13日、「組合に入ったらクビになる。」という不安をあおり組合つぶしための見せしめとして、何の理由もなく、一枚の解雇通知もなく、口頭で解雇通告されました。更衣室のロッカーに鍵をかけ、作業服や安全靴を隠す陰湿なやり方に、腹の底から怒りが沸いてきます。」
岩井金属労組組合員「私たちは、「もうこれ以上仲間をやめさせたくない。」という思いで、6月6日労働組合を結成しました。ところが10月になって、労組つぶしが始まりました。しかし私たちは、団結を固めてきました。朝にビラを撒く社員も増えてきました。」しかし焦る会社側は「班長おろしなど仕事上の差別・いじめ・ロッカーに《馬鹿》の落書き・労組の掲示板強制撤去・組合事務所を、フォークリフトで潰すなど、陰湿化:暴力化し、エスカレートしています。労組つぶしを跳ね返し争議勝利のため、是非、闘いへの御理解と御支援をお願いします。」
岩井金属労組:1990年11月18日
がんばれ!労働者!「岩井金属争議の勝利を祝う会」
当時、祝う会を主催した実行委員会は、岩井金属労組、岩井金属不当解雇撤回闘争を支援する会、なかまユニオンで構成されました。
岩井金属労組はその後「なかまユニオン育良精機分会」として再スタートを切り、井手窪委員長はその「なかまユニオン」の書記長として活動を継続しました。その後、色々な経緯を経て執行委員長になりました。職場はもちろん、職場の枠を越えて、パートや派遣労働者など非正規労働者の権利を守っていくためです。最後に盛り上がった、なかまユニオンのメンバー組合を公然化したばかりの「なかまユニオンN建分会」には腕章がプレゼントされました。
「赤い腕章つけて、赤く燃えたい」「社会正義のために闘っていく」と元気よく決意を述べる組合員を先頭に、なかまユニオンの歌『あんたが主役主人公』が大合唱された。
締めに。なかまユニオン若手の反応。
《事務所にフォークリフトで突っ込んで破壊する》というパワーワードに、すいません、若手は爆笑してしまいました。組合に対する嫌がらせ、組合潰しという話はよく聞きます。しかしダイレクトアタックをする会社側社員が居るとは思いませんでした。話が凄すぎて若い世代には、笑い話に聞こえてきます。壮絶な争議だったのだと思います。
2004年から20年間も経つと、辛い事件も笑い話になるということですね。しかし世代が変わっても、衝撃は変わらない、岩井金属労組の【フォークリフト組事務所破壊事件】です。 以上