支援・共闘・連帯活動日韓労働者は連帯しよう

【韓国訪問ツアー2025報告~ソウルに行ってきました~】

 なかまユニオンでは毎年、GW前後に韓国を訪問し、韓国の労働組合や活動団体を訪れ、国際交流を行っています。今年は4人でツアーを組み、4月26日~29日の3泊4日でソウルを訪問しました。尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領の弾劾デモに取り組んだ女性団体や、ソウルの中の貧困地区を支援する団体、韓国希望連帯労組との交流を主に行いました。安重根記念館や少女像も見学しました。まとめてレポートしますので、ぜひお読みください。

【南山(ナムサン)安重根(アン・ジュングン)記念館と少女像】

 初日は飛行機で韓国に飛び、一夜明けて27日午前、南山に向けて出発しました。YTNタワーを目標にした、本格的なハイキングになりましたが、なんとか辿り着きました。南山には、安重根義士記念館があります。独立運動家の安重根の遺品や関連資料があり、その思想や精神、生涯を知る目的にソウルの南山(ナムサン)の中腹に造られました。

 以前に訪問した、西大門刑務所歴史館と同様、韓国側から見た歴史の重要さを知ることが出来ました。日本の教科書では、どちらかと言えば悪者として(もしくはサラッと教科書に書かれているだけ)の、《伊藤博文暗殺事件》が、韓国の民主化運動において、非常に意味があり、日本を客観的に見るという事の、指標になりました。安重根氏は、韓国統監府初代統監・伊藤博文を狙撃、殺害した罪で死刑となりました。日本の教科書では『内閣総理大臣』と書いてあるのが、韓国では『韓国総督府初代統監』になっています。この点が重要な点ではないでしょうか。日本が帝政時代にアジア全域を支配し、韓国は日本の植民地になっていたのです。これに抗った抗日運動家として、韓国では義士として称えられているわけです。日本人にとっては耳に痛い話も多いですが、歴史的記念館を訪問してみる価値はありました。

【南山の少女像】

 日本が帝政時代、ソウルの南山に建てた朝鮮神宮の跡に、手を取り合った韓国、中国、フィリピンの少女像が立てられています。3人の少女が手を取り合った形をしていました。3人の少女像を見つめる、故キム・ハクスンさんの銅像も建てられています。誰かが4人目となって、手を取り合って完成する像になっています。とても静かで綺麗な高台にありました。キム・ハクスンさんは、1991年に慰安婦被害の事実を、最初に公開証言した人物です。「まず被害者の救済だ…」専門家らの研究は続いており、慰安婦の実態は多様だったことがわかってきています。当時の経緯は、資料や証言に基づいてしっかり解明され、継承されるべきものです。これは日韓に留まらず、戦時下における女性の人権問題だと認識すべきでしょう。

おまけ:YTNタワーには、100円(1,000ウォン)のおみくじが、ありました。冗談半分で聞いてね、と書いてありますが、意外と当たる( ´∀` )あとこれだけ凝っていたら日本なら300円は取る(笑)お試しあれ。

【ドンジャン・サランパン(貧困住宅街の住民協同組合を訪問交流)とチョッパン(貧困アパート)】

 続いて、ソウル駅のすぐ近くの貧困住宅街の住民協同組合トンジャドンサランパンを訪問しました。この地域には900人から1000人が「チョッパン」と呼ばれる劣悪な住居に集住しています。1950年代から安い箱部屋が作られました。ソウル市内には五か所、チョッパンが集まっている地区があります。その中でもここが最大です。ソウル駅の本当に目と鼻の先、高層ビルの間にこのような貧困地域が放置されていることに本当に驚きます。

 座ったら終わり、のような部屋が作られています。両手を伸ばしたら届くような狭さで、一坪もありません。キッチンもありません。ビル自体は4階建てや5階建ての立派なビルですが、中には40から50の部屋が入っています。1階には一つのトイレとシャワーがあります。洗面台もありません。

 1997年のIMF危機以降、職を失い家をなくした人々がこの辺りに集中するようになりました。年月が経ち、今ではみんな高齢者です。昔は努力すればこの地域から脱出できましたが、最近は一度入ったらここから出られません。家賃は20万ウォン、2万円くらいですが、値上がり傾向にあります。日本のように生活保護が、誰でも受けられるものではなく、障害のある人や病気の人以外は、65歳以下では生活保護が受けられないと聞き、過酷さを想いました。貧困から抜け出す手段が、なかなか見つからないという状況です。

 この地域で住民の協同組合は、月曜から金曜までここで100円食堂を開いています。キッチンがないので、ガスボンベをたくさん買って安く調達するなどの活動も行っています。紙コップも安く購入しています。公営葬式を行うことも多いです。月に2回、街の掃除も行っています。政府に公共住宅の建設を要求して行動しています。

 支援者の中に、元は画家だったという方が居て、お話を伺いました。四季折々のソウル市を描いて、絵をカレンダーにして販売しておられます。それを支援金に充てている、と聞き感銘しました。他の方だと、月に何回か大規模な街の清掃ボランティアをして、チャリティー(義援金)を集めているそうです。訪問の頃は、もうすぐ父母の日が近いので、その日の食事の募金を集めている最中でした。「今なら名前が名簿に載りますよ」とのことで、メンバー全員が寄付をしてきました。現在は「公共アパートを作り、住民が移住できるよう、市に求めている」という事でした。

【韓国女性団体連合のお2人にお会いしました】

 27日午後には、大統領弾劾運動について、韓国女性団体連合の事務局員2人のお話を聞きました。共同代表のヤンイ・ヒョンギョンさんと事務局長のイム・ソニさんです。

 私の頭には、弾劾のデモの中心は20代30代の女性であったこと、従来のろうそくと闘争歌ではなく、ペンライトと少女時代の歌であったこと、一方で若い男性が右傾化しているというような情報があったため、その真偽を確認して実際のところを知りたかったです。

以下は、交流のポイント(お二人の発言)です。

 《韓国女性団体連合は、1987年全国的民主化闘争の中で、団体の形で活動を始めました。現在、いろいろな女性団体で7つの地方支部を構成し、29のメンバーシップ団体が参加しています。女性の権利問題だけでなく、労働問題やジェンダー平等、民主主義的問題解決に向けて活動してきました。また、朝鮮半島の統一や平和の問題など、さまざまな課題にも取り組んでいます。福祉の問題にも関わっています。日本との連帯では、反原発運動で連帯して活動してきました。事務局員は十人です。大統領選挙もあり、大統領弾劾の問題はまだ終わっていません。現在、本を書くためにまとめています。整理が必要です。》

(男女比について)

 女性が6割から7割ほどでした。なぜ男性が少ないのか確定的なことは言えませんが、男性は個人で差別を受けた経験がなく、世界で一番強いという意識を持っているからだと考えられます。20代30代男性の間ではヘイトスピーチが増えており、現在は中国人に対して行われていることが多いです。

(戒厳令が発表された時の行動)

 一度家に帰りました。10時30分ごろ、びっくりして走って国会前に行きました。正直言って怖かったです。自分は活動家なので参加を呼びかける立場ですが、一般市民が集まっているのを見て感動し、涙が出ました。(お二人の発言より)

 今回20代30代の女性が多かった理由についてですが、目立った原因として韓国の#Me Too運動が挙げられます。差別だけではなく、生命に関わる問題であり、命がかかった自分自身の問題であるという意識から、声を上げなければならないと考えるようになりました。「Me Too」とは、「私も告発する」という意味であり、性暴力の被害経験を共有し、サバイバーたちに「あなたは一人ではなく、私たちはともに連帯すべき」という意味の言葉であり、女性への性暴力や性差別に対する、社会運動の掛け声でもあります。

2016年5月、ソウルの繁華街である江南(カンナム)駅近くの公衆トイレで、女性トイレに押し入ってきた見知らぬ男性に「女性だから」という理由で、若い女性が殺害された事件が発生。 その動機は「女性に見下されていたから」という、この事件は、理不尽極まりないもので、それまで抑圧された女性たちの思いが一気に噴き出す引き金になりました。弾劾デモでは10代20代が、自分たちの声を上げたという経験があり、大統領の問題も「私の問題だ」という意識が強く表れました。

 パク・クネ弾劾の時と今回の違いについてですが、パク・クネの時は「大統領を弾劾しよう」という一点のみが一致していました。これまでは大きな声が正しいとされてきましたが、今回は少数者の声も受け入れよう、平等的な言葉を使おう、差別的な表現をやめよう、少数者の声に耳を傾けて一緒に闘おうという方向へ変わったことが、内容的に一番の違いです。戒厳令が宣告された時、すぐに時局宣言が出され、全国的に毎日集会を行うことになりました。尹氏は、2022年の大統領選でジェンダー平等の推進を担う「女性家族省」の廃止を公約に掲げ、政権に就いてから、女性政策を後退させてきました。男尊女卑が強く残る韓国で、右派男性を支持し、男女の分断を煽ったのですから、女性たちの怒りが戒厳令のデモで頂点に達したと感じました。そうした背景を受け、女性たちがデモに結集したのだそうです。

 【私たちみんなの広場です】ソウルでは、100団体が一人ずつ人を出して毎日会議を開き、デモを作りました。どんな発言をするか、どんな歌を歌うかを話し合いました。差別的な発言があった場合には、その発言はダメだと相談できました。女性団体連合は連合体なので、そういった相談がすぐにできました。女性団体連合が発言の基準を作成して配布しました。運動家だけでなく、一般市民の女性たちが集結したと聞き、私もすごく驚きました。女性の持つパワーは本来、すごく強いものだと感じました。

【恒例の韓国:希望連帯労組との交流会】

 28日は、公共サービス労組希望連帯本部との懇談会でした。初めて支部レベルの代表者30名との懇談を行いました。事前に、なかまユニオンの紹介、日韓交流の経過と意義、なかまユニオンの悩み、希望連帯本部への要望という4点についてレポートを書くよう要望が出て、書いて送りましたが、日本の運動の現状も追加してほしいとダメ出しが出て書き直しました。

 報告の後の質疑では、「一人の問題で交渉して進展がなかった場合、どういう方法で解決を図るのか」等活発に質問が出ました。意見交換では、「若者の交流の機会を作ってほしい」という私たちの要望について、「若者とはいったい何歳までか?」という質問が出て大いに盛り上がりました。秋の団結祭りの訪日団には、意識的に若者の参加を位置づけることや、Zoom会議の開催など連帯強化の方針が確認されました。45歳以下は若者という定義になり、色々な方に参加して貰えることを期待しています。

 希望連帯本部との交流は10年になりますが、10年前には日本と交流することに反発もあったそうです。交流の中で、日本の労働者に対する理解が進んだそうです。今回は、一部の担当者だけではなく、支部レベルの代表者との懇談で日本の労働者に対する理解が進んだ、また、連帯活動を進める希望連帯本部に対する誇りを改めて感じたということでした。連帯関係を確認したのはもちろんですが、なかまユニオンの結成以降を振り返り、今後を考える良い機会となりました。最後にお土産交換をして締めくくりました。時間のあるメンバーは、近くのカフェに集まり、歓談しました。

おまけ:ソウル市内中心部「広蔵市場(クァンジャンシジャン)」でお買い物をしました。屋台グルメが盛んな市場。グルメだけでなく市場ショッピングも目玉の一つ。お土産にかえるお惣菜店や、階段を登った2階にある古着市場が人気。さらにチマチョゴリや高麗人参、韓国海苔、工芸品などもあり、見ているだけで楽しい市場でした。韓国海苔(健康食品)のお店で、韓国海苔バラエティーパックや、お土産のお菓子を買いました。なぜかヤクルトを飲ませてくれました(笑)

【帰国前の最後の夜】

 夜は、バーベキューを楽しみました。いつもお世話になっている、ショートステイのお宅の中庭です。希望連帯労組のチェ・オスさん、今回から新たに日韓連帯担当となった方、日本から韓国に来た留学生、訪韓メンバー4人、お世話になったご夫婦と、バーベキューを楽しみました。韓国式の焼肉は、やっぱり一味違って美味しかったです。雑談中、例によって、なかまユニオンの運動に対する厳しい意見もいただきました。それだけ日本の活動に関心を寄せて下さっているのだなあ、と有難く思います。

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